体験ルポ・スウェーデンと日本のグループホーム

 

その2

 

世界初のグループホーム「バルツァゴーデン」

 世界で初めての痴呆性高齢者向けグループホームと言われる、スウェーデンの「バルツァゴーデン」という非常に有名なグループホームの話をしたいと思います。

バルブロー・ベック・フリス先生

これが、バルブロ・ベック・フリス先生です。
 この方はスウェーデンのモタラ病院で、20年間、痴呆病棟で痴呆症のお年寄りの治療をしていたのです。
 いくら薬を飲んでも、いくら治療しても、痴呆症の病気は治らない。治らないどころか、いくら経っても退院しないから病院のベッドがふさがって、医療費もかさんでしまう。
だから、良くない言葉ですが、スウェーデンでは痴呆性老人のことをベットブロッカー(ベッドふさぎ老人)といわれていました。一回入院したら、なかなかよくならないのです、なかなか退院できないです。

 バルブロ先生は、1980年頃から、疑問に思われ、考えた。
もしかしたら、病院で痴呆症のお年寄りの、介護をすること自体が間違っているのではないか。家庭的な住み慣れた雰囲気の方が、元気になるのじゃないか?と。
 そこで、モタラ市の住宅地にある一軒の大きな住宅を借りて、グループホームの実験を始めました。これは世界初の実験といわれています。

グループホーム・バルツァゴーデンの外観

 

これがその世界一有名なグループホーム「バルツァゴーデン」です。

グループホーム「バルツァゴーデン」

 私は1989年、スウェーデンで高齢者福祉の研究のために、留学していました。

「スウェーデンの痴呆対策はどうなっているのか?」。

 そう思っていたときに、スウェーデンの知人の研究者アネリー・ホローさんが、

「ミスター山井、今スウェーデンでは、"グループホーム"が爆発的なブームになっている。大きな病院ではなくて、家庭的な雰囲気の中で生活(グループホーム)していくと、痴呆の病気は治らないけれども、症状が和らいだり、あるいは進行が遅くなったりする」

と教えてくれました。

 そして、アネリーさんから「バルツァゴーデンの家」という史上初の痴呆性高齢者向けグループホームの本を借りて読みました。その本では、スウェーデン初のグループホーム「バルツァゴーデン」での3年間のルポで、痴呆性高齢者にとってグループホームがいかに効果的かが実証されていました。

 感動した私は、バルブロー博士に手紙を書き、「この本を是非、翻訳して日本で出版させてほしい」とお願いし、快諾して頂きました。そして、実習とルポのため、私は早速バルツァゴーデンに行き、1週間滞在致しました。

 それまでに、私は、日本の老人病院の痴呆病棟で、実習し、寝間着姿の痴呆症のお年寄りと、1日に20周も30周も、廊下を手をつないで徘徊をした経験がありました。
 バルツァゴーデンには7人の痴呆症のお年寄りが、モタラ病院の痴呆病棟からこのグループホームに移ってきていました。
 お年寄りが、病院の痴呆病棟にいたときには、寝間着を着ていました。ところが、ここでは、一人一人、私服を着ているのです。

 

ジャガイモの下ごしらえをするシグバート(痴呆老人)さん

 

 このシグバートじいさんは93歳。シグバートじいさんが病院から移り、グループホームで生活していると、誰かが料理をしていると、キッチンをのぞき込むのです。

家庭的な雰囲気

 グループホームの痴呆ケアにおいては、環境が非常に大切です。具体的に言えば、朝からコーヒーをわかす。スープをつくる。ジャガイモをゆでる。スウェーデンでは、ジャガイモが主食なのです。

 そういう家庭のにおいをグループホームの中に充満させる。そのことが脳にとって良い刺激になるわけです。
ですからこのグループホームでも、朝からコーヒーをわかしてスープをつくって、ジャガイモをゆでる・・・。

 キッチンからいいにおいがすると、シルバート爺さんがのぞき込んでくる。
 家族にきくと、「おじいちゃんはむかし散髪屋さんでしたが、料理が大好きでした」

 それでバルブロ先生は、「もしかしたらシルバート爺さんは、簡単な料理なら作る能力が、残っているのでは?」と考えました。
 私が、ジャガイモをみせて「これはなんですか」と聞いても、シルバート爺さんは答えられない。ところが、ジャガイモとナイフを渡すと、皮をむけるということが分かりました。

 

手続き記憶

 つまり、脳が覚えていなくても、指先はジャガイモの手触りを、ナイフの手触りで、ひとりでに勝手に手が動き、皮をむくことができるのです。
 心理学の用語で、手続き記憶と言います。
 皮をむく役割を持ってもらう(役割療法)と、シグバートじいさんが元気になってくる、ということがわかったのです。

 

家庭的な雰囲気のグループホームのディナー

食堂の雰囲気

 スウェーデンでも以前は、老人ホームや病院の大きなフロアで、20人も30人も一緒になって、スタッフが忙しそうに走りまわり、食事介助をし、がやがや落ち着かない雰囲気で食事をしていた。ところが、そういう雰囲気では、食欲がわかない、ということがわかりました。

 

心のリハビリ

 家庭的な、長年住み慣れたような雰囲気で、スタッフもユニフォームではなく、私服で、一緒に食事をする。
食卓には、先ほどシルバート爺さんがむしたジャガイモが並んでいます。
「シルバートさん、このジャガイモおいしいわ、またあしたも作ってくださいね」スタッフが声をかける。
痴呆症のお年寄りは、正確な言葉の意味が理解できなくても、

「ああ、自分は感謝されているのだな、みんなから必要とされているのだな」

と、いうことはわかるのです。
 このように役割や、出番を持ってもらい生活していくうちに、シルバート爺さんは元気になってくる。これを「心のリハビリ」というのです。

 

残存能力を引き出す

 だから、このアニータさんは、

「痴呆ケアにおいて大切なのは、"どうやって入浴介助をするか?""どうやっておむつ交換をするか?"ではない。もっとも大切なのは痴呆症のお年寄りたちは、生き甲斐や、自信を失っている。生き甲斐を失ったお年寄りには、"この方だったらまだこんな能力が残っているのじゃないか?"と、能力を引き出して、役割を・出番をつくり、スッタッフ達が、"ありがとう、たすかったわ"ほめるのです」と。

 

尊厳を高める

「そんな環境のなかで、痴呆症のお年寄りは、"失敗ばっかりして迷惑をかけている" "邪魔者扱いされている" と思っていたけれど、"私もみんなから必要とされているのだ"という実感が、なによりも痴呆症状をやわらげるのです」と。
尊厳を高める。自尊心を高める。プライドを高める。これが痴呆ケアの目的です。

 

自室で愛用のピアノを弾くビルギッタ(痴呆老人)さん

個室とピアノ

 たとえばこのビルギッタさん。
 この方は85歳。痴呆症が進んでいます。言葉もほとんど失われています。ピアノが好きでした。
 グループホームは個室です。個室には、私物の仏壇やいろんなものを持ち込めます。このビルギッタさんは、自分の部屋に思い出の品として、愛用のピアノを持ち込みました。

 ビルギッタさんが落ち着かなくなったら、自分の部屋につれていって、ピアノの前に座らせて、「ビルギッタさん、一曲引いてください」。
 言葉はほとんど通じない。しかし、ピアノの鍵盤をさわると不思議なもので、なぜか急に引き出す(手続き記憶)。おまけに言葉を忘れているはずのビルギッタさんが、ピアノに合わせ、懐かしのメロディーを歌い出します。

 ここで重要なのは、他の入居者やスタッフのひとが一緒になって、ビルギッタさんと一緒に合唱する。そして、一曲終わったときがまた大切で、一曲終わると、ばちばちと拍手して、アンコール・もう一曲。
そのころには落ち着きを取り戻して、ビルギッタさんも元気になる。

 つまり一日一度でも自分が認められて、まわりから必要とされてほめられる。そういう瞬間があると、痴呆という病気は進みにくくなったり、症状が和らいだりするのです。
痴呆に対する特効薬はないのですが、こういう心のリハビリが大切なのです。

 一人一人の生きがいに応じた「個別ケア」です。

 残念ながら、今までの病院や大きな施設のケアは、10人みんなで、紙風船の風船バレーをする。これは、「身体のリハビリ」としては効果があります。
しかし、心のリハビリとは、違うのです。
この方はピアノの先生だったから、このピアノを使ったリハビリが出来るようになる。さきほどのシルバートさんは、もともと、とても料理が好きだったから、料理がリハビリになるのです。

 

リハビリのヒント

 痴呆症のお年寄りの、ひとりひとりに、「この方はどのような能力が残っているか?」というスタッフが見極めることが大切です。
あるグループホームでは入居する前に家庭訪問をして、家族からお年寄りの人生を聞く。昔の写真を見せてもらう。「ネコがおすきだったのですか、畑仕事をされていたのですね」、ということから心のリハビリのヒントをつかんでいくのです。

 

おしゃれをしてお酒を愉しむ痴呆老人

 

おしゃれが自尊心を高める

 この方も痴呆症です。マニキュアをつけて、イヤリングをつけて、パーマをあてセットをして、パンタロンスーツです。

「この方は、痴呆症で、ぼけているのだったら、こんなおしゃれをさせなくてもいいじゃないですか」。

思わず、私は、スタッフの方に聞きました。
とても、叱られました。

「そんな考えだから日本人は、だめなのです。何回言ったらわかるの!痴呆症のお年寄りというのは、尊厳や自尊心をきずつけたら、そのショックで痴呆が悪化するのよ。特に女性の方は、身なりをきちんと整えてあげることが、もっとも大切なケアなのよ。寝間着を着せて、散切り頭に散髪したら、そのショックで痴呆が進むのよ。」

と、言われました。

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