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ホームヘルプ  
より
トップインタビュー 

グループホーム推進のリーダー・衆議院議員 山井和則氏


良質なグループホームが増えると

弱者にやさしい社会が実現する。

そのためにも介護報酬のアップを!


#和則氏は現在、政治家としてグループホームの推進に尽力している。彼がなぜ、福祉の道を選び、グループホームとどのように出会ったのか。グループホーム推進を阻む課題とは何なのか、熱く語っていただいた。

ヘルパーは幸せ配達人

グループホームについてお話する前に、私からホームヘルパーさんに対して伝えたいメッセージがあります。

これまで延べ1OQ回くらいヘルパーの養成講座に呼ばれて講演をしましたが、そこで痛感するのは、皆さんがとても熱心に聞いてくださること。ですから、養成講座に行くのを、とても楽しみにしています。

講演のなかで、私はいつも、山口百恵さんの「いい日旅立ち」という曲を、エールを送る意味で歌うことにしています。

「日本のどこかに、私を待ってる人がいる・・・・」という歌詞は、ホームヘルパーのテーマソングにぴったりだと思いませんか?

私はヘルパーさんを“幸せ配達人”と呼んでいます。

ヘルパーという職業は、高齢化が進んだこの社会で、最も必要とされる、尊くて大切な仕事ではないでしょうか。

この15年、老人福祉の研究や運動をしてきたので、お年寄りがどんなにヘルパーさんを待ち望んでいるか、ということは痛いほど感じています。

最も光が当たらない人のために

さて、私が福祉の道に入った経緯からお話しましょう。

高校時代、脇目もふらずに受験勉強をして大学に合格しましたが、気がつくと五月病を患っていました。

「私のように、自分のことばかり考えて生きていていいのだろうか。人間というのは、人の喜びが自分の喜び、人の悲しみが自分の悲しみなのではないか」と悩み、自己嫌悪に陥ったのです。

それで児童福祉施設でボランティア活動に参加するようになり、大学院を卒業した後、福祉の道に進む決心をしました。

豊かと言われる日本の社会で、最も光が当たらない人のために生きたい、と私はそう考え、松下政経塾で老人福祉の研究を始めたのです。

まず国内の老人ホームへ実習に行き、寝たきり者人や痴呆性老人のお世話が、いかにたいへんであるか、身をもって知りました。

その後1988年に9ヵ月間かけて、イギリス、スウェーデン、デンマーク、アメリカ、シンガポールを回り、老人ホームの現場を体験したのです。

そこで「あれ」と思ったのは、寝たさり老人が非常に少ないこと。

なぜなら、イギリスやスウェーデンでは寝かせきりにせず、車椅子に棄せて、あちこち散歩に連れていくからなのです。

そこで、スウェーデンのある研究者に聞きました。一番困っていることは何ですか?

すると「痴呆です。スウェーデンでも絶望といわれていまずから…」という答えが返ってきました。

たしかに、どこの国にも痴呆のお年寄りは大勢います。

バルツァゴーデンの家

ぞんなとき、一冊の本と運命的な出会いをしました。

その本には

「痴呆症の方は、大規模施段でなく、78人の家庭的な“グループホーム”で面倒を見るのがよい。

痴呆症のお年寄りも愛されたいし、必要とされたい。

ですから家庭的な雰囲気のなかで、なんらかの生き甲斐や役割をもって暮らせば、症状がやわらいだり、進行か遅くなったりする」とのことでした。

反対に、大部屋で寝かせきりにしたり、やることを与えないでおいておくと、症状が悪化するのです。

私は感動のあまり涙が止まりませんでした。

以前、国内の何カ所かの老人病院の痴泉病棟で実習したことがありましたが、そこでは痴呆の患者きんをひもで縛えい、柵で囲っていました。

そんな姿が頭に焼き付いている私にとって、その本はひとすじの光明と言えるものだったのです。

痴呆症でも、人間らしく生きられるのだ。

スウェーデンに滞在している間に、このことを私なりに勉強して、日本に持って帰りたい! 

私はその本の著者であり、グループ・ホームの施設長をしていたパルプロー・ペック・フリス博士に手紙を書き、モタラ市にある“パルツァゴーデンの家”というグループホームで、学ぱせてもらうことになりました。

そこで印象的だったのは、むかし、料理が得意たった痴呆老人が、生き生きとした様子でジャガイモ料理をつくっていたこと。しかもこざっばりとした私服を着て…。

痴呆になっても、昔の得意分野の能力は残っているのですね。

その能力が発揮できて、なおかつ周囲の人に認めてもらえると、元気になるんです。こういうのを「心のリハビリ」といいます。

フリス博士の本は帰国して2年かかって翻訳し、日本で出版しました。

「スウェーデンのグループホーム物語」(ふたば書房・刊)という本です。

その後、スウェーデンに留学し、クループホームの研究を続けました。

子どもたちへの教育効果

私はグループホームが街にできれば、そこから愛が生まれる、と考えているのです。

グループホームを建てようとすると、反対運動にあうことがあります。

ですが、完成したあと、スタッフと共に痴呆症の老人が貰い物をしたり、犬を散歩させている姿を見て、認識を変えるケースが多いのです。

そして、周辺住民がそのグールホーホームでポラティアをしたり、幼児を施設に預ける母親が出てきたりもしています、

街に溶け込んでいるグループホームのお年苦りを見て、子どもたちは「弱った人を大事にするのが人間なんだ」ということ学ぶ。

これは、現代社会が必要としている教育だ思います。

今、青少年の問題が凶悪化していますが、その背景には、からだの弱った人、不自由な人をどんどん地域から排除していることが挙げられるのではないでしょうか。

日本のグループホーム第1号といわれているものは1993年、秋田県の“もみの木の家”で、精神病院に併設して建てられました。

それから少しずつ墳え、昨年、介護保険が導入されるまでに300カ所ほピ建ちました。

導入後は一気に増え、この8ヵ月で700カ所に。

でも、順調に増えているとは言えません。

今、痴呆性老人は160万人いるのに、そのうちの0.3%、300人にひとりしか入れない。

これでは“絵に描いた餅”です。

介護報酬を30万円に引き上げる

2004年までに、ゴールドプラン213200カ所となっています。

しかしこの数でも50人にひとりしか入れないんです。

ですからこれを1日でも早く「制度としてグループホームがありますよ」ではなく、「利用できますよ」と言えるようにならないと。

厚生労働省は「将来的には中学校区にひとつくらい、1万カ所必要」と言っています。

が、それでも少なすぎます。小学校区にひとつ、25000カ所必要です。

痴呆性考人にとって、大規模施設よりもグーループホームのほうが適している、というのは厚生労働省も認めています。

にもかかわらず、グーループホームの普及は遅々としている。

その理由は大きく分けて3つあると思います。

まず、最大の理由は介護報酬が低すぎる、採算があいにくいこと。

平均、要介護3253000円くらいです。特養が平均33万円、老健が平均37万円ですから、かなり」低い。

ですから30万円くらいに上げるべきです。

グーループホームが本来対象としていたのは、痴呆の程度は進んでいるが料理をすると上手、というような人です。

ところが介護報酬が低いために、そのような人に対応できない、超軽度の痴呆のお年寄りしか入れないグループホームも増えました。

あるいは充分なお世話ができないから、グループホームの中でほったらかし、というケースも出てきています。

NPOや民間にも建設補助を

ふたつめは建設補助金の問題。

医療法人と福祉法人にしか出ないのです。

NPOやシルバービジネスでグループホームをやりたい、という方は大勢いるのに、これは不公平ですよね。

この問題は国会でも取り上げ、平成13年度から一部の公益性の高いNPOなどには認めめられるようになりましたが、まだ不充分です。

3つめは入居費の高さ。

特養や老健の入居費の自己負担は月6万円から8万円。

ところがグループホームは12万円から16万円です。

これはグループホームが在宅と認定されて、家賃と食費が全額自己負担だから。

つまり、グループホームは比較的裕福な痴呆症のお年寄りが入る場所になってしまっているのです。

裏返せぱ、介護報酬30万円に上げて、NPO、シルバービジネスにも建設補助を出して、自己負担を特養や老健なみにすればグループホームは爆発的に増えます。

そのかわリ、よくないグループホームに対する取り締まりはしっかり行わなければなりません。

介護報酬が上がると、金儲け主養のところが必ず出てきます。

そこで市町村は立ち入り検査をきっちりやって、悪質なところは淘汰しなければダメなのです。

介護報酬が上がるということは、保険料がアップすることになりますが、痴呆のお年寄りを不必要に長期入院させている現状よりは、社会にとって高くはつきません。

厚生労働省も3年後の見直しのときには介護報酬を引き上げたい、という意向を持っているようですが、それでは遅すぎる。

今年から上げるべきです。

近い将来、グループホームが25000カ所に増えたとしても、残念ながらそこに入れない痴呆症の方は大勢いることでしょう。

でもその頃には、大規模施設での痴呆症ケアも、ユニットケアなどの形に改善されていることを期待します。

また、全ての人が痴呆老人のことを理解し、温かく支えることができるような社会になることを期待します。